1997.07.04 晴れ 波高1.5m
香川県高松〜高知県手結港 回航 所要8時間
1997.07.05 晴れ 波高3m
トーナメント1日目 ノーヒット
1997.07.06 晴れ 波高2m
トーナメント2日目 クロカワカジキ80kgランディング
1997.07.07 晴れのち雨 波高5m 大荒れ
高知県手結港〜香川県高松 回航 所要12時間
1997年7月6日。土佐ビルフィッシュトーナメント最終日。場所は室戸沖20マイルの黒潮牧場付近。
競技終了15分前にブルーマーリンがヒット。それから約30分のファイトでランディングに成功。
ファーストマーリンだったのでとにかく嬉しかった。
ファイト中は頭の中真っ白。無心でリール巻きっぱなし。
釣り上げた時点で帰港リミットまで1時間45分しかない。そこから基地の手結港まで約50マイル。
そこまで2時間半掛かってたどり着いたのだから、時間内帰着はどう考えても無理だ。
カジキは釣ったが、トーナメントはタイムアウトでファールだという思いが頭をよぎる。
事実、この時点で周囲に参加艇はゼロ。唯一、室戸のすぐ近くで仲間の「ヒロキ」がファイト中。
彼らの方が近いが、それでもタイムアウトは避けられないだろう。
奇跡、だった。それまであった1mほどのうねりが消え、緩やかに追い風と追い潮が流れ出した。
軽量最速の"Aquarius"は、その中を最高速の34ノットで巡航し、受付終了10分前、無事に帰港。
手結港で仲間の船から貰った拍手の嵐は生涯忘れられないだろう。
検量と審査の結果、ラインクラス80Lb/重量80kgで
大会2位入賞(!!)
JGFA公認記録となる。
これは帰港直後のスナップ。大会参加艇のうち下から3番目の大きさの初代"Aquarius"。
2日間の大会期間中、ブルーマーリンのランディングは4本のみだった。
左からミスマーメイド(にしちゃ地味なねーちゃん)、私、マリーナの斉藤社長、ヤマハの宮脇君。
この翌日、高知から室戸岬をまわって高松まで帰ってくるときに、波高5mのシケに遭遇。
12時間も掛かってたどり着く。途中で高波に突っ込んでしまい、2階部分と室内にダメージ多数。
室戸を超えると斜め後ろからの追い風と追い潮で完全にサーフィン状態。波のピークでエンジン
ふかして乗り越えようとすると、プロペラがエア噛んでしまって前に出ない。すごく恐いよこれは・・。
波返しの板は割れ、アンカーはボディにめり込み、無線機は大波かぶって使用不能。
あまりの前後傾斜にエンジンオイルが片寄ってしまいオイル量不足のブザーが鳴り続ける。
途中ひどいスコールと霧。更に高波で周囲360度どちらを見ても波(海ではない)ばかり。視程ゼロ。
とにかく50m先にいる仲間の船が全く見えないのだから。気を抜いたら死ぬな、と本気で思った。
フライブリッジで操船すると波と雨で前が全く見えないので1階に降りる。これが悪かった。
船がジャンプして着水したときに、体を1.5mほど真上に飛ばされシートでお尻と腰を強打。
着水の衝撃で、運転席横にあった配電盤パネルがモゲて降ってきて(!!)足を打撲。
このせいで100V系が全滅。予備の無線機が使えない。ロアステーションにはGPSすらない。
周りは高波で全く見えず、頼りはコンパスだけ。しかも下半身がずっと痺れたままの操船。
夕刻、やっとマリーナに着く。
カレーライスを注文したが、スプーン持つ手が震えてしまってうまく食べられない。
でも不思議と恐怖感はなかったなあ。ただ、やるべき事を黙々とやり続けるだけ。
それから2ヶ月半、上を向いて眠れない程の怪我で、ずっと鎮痛剤のお世話になってました。
でもね、正直言って、今までの遊びの中で一番楽しかった。これはもうやめられないね。